『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一が行く、”シニア・モーターカー”の旅

裏ななつ星紀行ー完全版

九州を一周する豪華寝台列車「ななつ星 in 九州」への
熱狂ぶりに恐れをなした片山・小平のシニア二人組が、
”真の贅沢ってなんだろう?”と
格安ローカル列車の旅にでた。その全記録。
<第六話>

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文=片山恭一
写真=小平尚典
アートディレクション=東裕治

裏ななつ星紀行 第六話   三日目(後編)

いきなり団子:熊本駅

黄昏れていてもしょうがないので、ちょっと街を歩いてみる。やはり何もない。この元気のなさは異様ですらある。何より人が暮している気配が希薄だ。街から人が消えてしまっている。これがグローバリゼーションということだろうか。グローバルの反対はローカルだ。日本のローカルな都市は、いったいどうなってしまっているのだろう。景気が回復しているなんて、どこの話だ。そんなことは、一度ローカル線で九州をまわってから言ってもらいたい。
多くの店がシャッターを下ろした商店街に、ようやく一軒の和菓子屋さんを見つけた。お歳をめしたご夫婦が、二人でかるかんなどをつくっている。一個だけ買って、小平さんと二人で半分こして食べる。山芋をたくさん使った、美味しいかるかんだった。いるところには、いるのである。いい仕事をしている人たちが。でも後継者は? この街は、これからどうなっていくのだろう。
「昔はお客さんがたくさん来たんだけどね。いまはダメだね。みんな車で来て、ツルだけ見て帰ってしまうんだ」
 やっぱり良くないぞ、車社会。地方の小さな街が衰退していくのは、日本人が旅行に列車を使わなくなったことも一因ではないだろうか。その証拠に、道の駅などは、どこも結構賑わっている。交通手段が完全に車にシフトしているのだ。たまに列車を使っても、新幹線や特急で遠くの目的地までピューッと行ってしまうから、途中の小さな街はどんどんさびれていってしまうのである。
 同じことは、つぎに降り立った水俣にも言えた。ここは新幹線の駅が別なので、ローカル線の駅舎は古びてくすんでいる。そのことにかえってほっとするほど、九州新幹線がもたらしている矛盾は深いと感じた。駅前の通りを歩いていくと、思いがけずチッソの本社に行き当たった。いきなりな展開である。門のところに警備員がいて、構内に立ち入ることはできない。なんとなく厭な雰囲気である。以前見学に行った、人形峠の動燃の施設を思い出した。

水俣の海が見たくて、ぼくたちは港へ向かって歩いていった。思ったよりも遠い。途中の幹線道路沿いには、ファストフード、ファミリーレストラン、家電量販店、中古本などを扱うリサイクル・ショップ……要するに、日本中どこででも目にするチェーン店の看板が並んでいる。やはり地元のカルチャーを感じさせるものは何もない。食べ物をはじめとして、すべてのものが均質化されている。グローバリゼーション、いいことなんて何もないじゃないか。
港の近くには広い公園があり、「エコパーク」という名前がついている。名前からして心を打たない。ただ空疎で無意味だ。もはや何も言う気になれない。唯一、バラ園に咲いているバラが美しかった。それは救いのようでもあり、絶望のようでもあった。
ようやく港に出た。防波堤に腰を下ろして一休みする。山のように材木を積んだ船が、タグボートに曳かれて港を出ていく。この海は、石牟礼道子さんの小説に描かれたように、豊かな恵みをもたらす海だった。その海は有機水銀によって汚染され、人々に多大な苦難をもたらした。水俣病はけっして過去になったわけではなく、いまも多くの人たちを苦しめている。加えて、現在の日本の地方都市が共通して抱える問題が、ここ水俣では重層しているように見える。

いきなり団子:熊本駅

疲れたので、帰りはバスで駅に戻る。列車の時間まで、駅前の商店街をぶらつく。やはりシャッターの下りている店が多い。小さなデパートがある。入ってみたけれど、とくに欲しいものはない。二階の食品売り場で、ハーフボトルのチリ・ワインとナッツを買う。今日はこれを飲みながら熊本まで行こう。お酒は夜だけときめているのだが、由布院ではどぶろく、昨日の人吉ではビール、今日はワインと、ぼくたちの飲酒スタート時間はフライング気味に早くなっている。
さらに歩いていくうちに、風にはためく「辛子レンコン」の幟を発見。ワインに辛子レンコン、いいじゃないか。今日はちょっと辛い一日だった。辛子レンコンでも食べなければやっていられない。さっそく足を踏み入れる。辛子レンコンは量り売り、本格的である。他にも何種類かの練りもの、揚げものが並べてあり、どれも美味しそうだ。とりあえず店主が勧めてくれた、サラダ玉ねぎを使った「サラたまボール」を二個買い求める。辛子レンコンは食べやすいように切ってもらう。
「あの、紙コップはありませんか」
ずうずうしいぼくは、ワイン用の紙コップまで調達してしまった。お店の主人は、会社でいえばそろそろ定年といったお年頃。気さくにいろんな話をしてくださる。本業は蒲鉾で、創業は明治四十一年。彼は三代目ということだ。魚を使う仕事だけに、水俣病の影響は深刻だった。先代の時代は、北海道の魚を材料に使っていても、水俣産というだけで商品が売れず、大変な苦労をされたそうだ。市内に五つあった蒲鉾店はつぎつぎに廃業し、いま残っているのはここだけという。
いきなり団子:熊本駅 「いい顔していたよねえ、あの店主」
車中、小平カメラマンが「サラたまボール」を齧りながら言う。
「やっぱりいい仕事をしている人は、いい顔をしているんですねえ」
カベルネの風味のしっかりしたワインを飲みながら、ぼくも満足だ。
「辛子レンコンもいってみよう」
「くう~、辛い。でも美味い!」
 絶品の辛子レンコンと「サラたまボール」を食べながら、あっという間にハーフボトルのワインを飲んでしまった。いいのだろうか? 熊本では馬刺しを食べながら焼酎を飲むつもりなのに。

旅の三日目はいろいろ考えさせられた。「裏ななつ星」だ「九州満喫きっぷ」だと、浮かれてばかりもいられない、地方都市の厳しい現実を目の当たりにしたからだ。そのなかで出会った和菓子屋さんと蒲鉾屋さんは、荒みかけた気持ちを和ませてくれた。いつまでも元気で、かるかんや「サラたまボール」をつくりつづけてほしい。ぼくには何もできないけれど、彼ら職人さんたちの姿は、この旅の思い出として大切にしたい。
「シニアとして、社会貢献できる旅みたいなものを考えたいよね」
 小平さんも、やっぱり何か感じるところがあったのだろう。ぼくも同じようなことを考えていた。イタリアのスローフード運動みたいなことを、旅をとおしてやれないだろうか。たとえば地方の小さな街に降り立って、その土地独自のものを食べる。伝統的な人々の暮らしや、文化に触れる。吉田類さんの「酒場放浪記」のような番組が支持されているのは、みんなそういうことをやりたいと思っているからではないだろうか。場末の居酒屋が、ささやかな旅なのだ。
成熟した消費社会において、ぼくたちは何をどのように消費するかを考える必要がある。ただお金を使って大量に消費するのではなく、消費の質を高めていくことを考えるべきだ。旅もひとつの消費行為である。できれば訪れた街を、少しでも元気にするような旅をしたい。地道にがんばっている人たちのところで、かるかんや辛子レンコンを買えば、そこにコミュニケーションが生まれる。商品を提供してくれる人たちの顔が、ちゃんと見えるからだ。
 いまのぼくたちの社会にいちばん欠けているものは、お互いに顔の見える相手との関係、つながりではないだろうか。大量生産されたものは、顔の見えない消費者に向けて無差別に提供される。それは情報と同じで、宛名をもたない。だからモノを消費し、情報を受け取ることで、ぼくたちはどんどん孤独になっていく。コミュニケーションの可能性が最初から断たれているからだ。
旅も同じだ。旅先で出会った人の顔もおぼえていない旅が増えている気がする。でも今日出会った和菓子屋や蒲鉾屋のご主人の顔を、ぼくは長く忘れることがないだろう。ループ線とスイッチバックについて説明してくれた、肥薩線の親切な運転士さんの顔も。旅の本分は、顔の見える相手とのコミュニケーションではないだろうか。そこにつながりが生まれる。人と人の関係が生まれる。旅のなかで、ぼくたち一人一人が耕されていく。

第七話に続く…(6月26日頃更新)

いきなり団子:熊本駅

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