『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一が行く、”シニア・モーターカー”の旅

裏ななつ星紀行ー完全版

九州を一周する豪華寝台列車「ななつ星 in 九州」への
熱狂ぶりに恐れをなした片山・小平のシニア二人組が、
”真の贅沢ってなんだろう?”と
格安ローカル列車の旅にでた。その全記録。
<第五話>

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文=片山恭一
写真=小平尚典
アートディレクション=東裕治

裏ななつ星紀行 第五話   三日目(前編)

いきなり団子:熊本駅

 旅もいよいよ三日目に入る。これだけ普通列車にばかり乗りつづけていると、さすがに飽きるのではないかと思っていたが、全然そんなことはない。むしろ飛行機や新幹線のほうが退屈に思えてくる。時速二百キロ以上の高速では、何かに出会うことは難しい。出会いがなければ発見もない。それは旅ではない。たんなる空間移動である。たった二日でこの変わりよう……。旅にかんして、自分がどんどんラディカルになっていくのがわかる。いい傾向だ。
さて、朝食を済ませたぼくたちがまず向かったのは、新唐湊(とそ)温泉という市内の公衆浴場だ。鹿児島中央駅から車で十分ほど、タクシーだとワン・メーターで行ける。住宅地を抜けた高台にあり、浴室の窓から正面に桜島がドーンと見えるらしい。この旅では、いつのまにか二人のあいだで、一日一回は温泉に入るという黙契ができている。加えて小平カメラマンは、なんとしても桜島の写真を撮りたいと思っている。 桜島なんて簡単に見えるでしょう、とお思いかもしれないが、さにあらず。これが案外と見えないのである。お天気に左右されることは言うまでもないが、晴天の日でも無風状態だと見えないことが多い。噴煙が風で流れずに、島を覆ってしまうのである。本日が、まさにそのような日だった。タクシーの運ちゃんも、難しいでしょうと言っている。嫌な予感がする。ぼくは旅運があまりいい方ではない。摩周湖は霧に閉ざされていた。天草のイルカ・ウォッチングは、遭遇率九十パーセント以上と言われていたにもかかわらず、見えるのは波頭ばかりだった。
「海外での戦績も惨憺たるものでして。モンブランは雲に隠れているし、カプリ島の青の洞窟は波が高くて入れないし……」
 隣のシートで、小平カメラマンは祈りはじめている。その祈りが通じたらしい。目的地に着いたときには青空の下、輝くばかりの桜島が目の前に。タクシーから飛び出した彼は、駐車場を横切りながらバシバシと写真を撮りはじめた。そんな姿を見ながら、ぼくは小平カメラマンを携帯グッズにして旅の先々に持ち歩きたいと思った。

 浴室からの眺めも素晴らしかった。日差しの溢れる明るい浴槽で、雄大な桜島を眺めながら温泉につかっていると、自分が意味もなくスケールの大きな人間になった気がする。昨夜の鮨屋の大将といい、今朝のタクシーの運ちゃんといい、鹿児島の人たちが桜島のことを誇らしげに、愛しげに、あたかも身内のことに言及するような、親密なトーンで語る理由がわかる気がした。噴火や火山灰に悩まされながらも、鹿児島の人たちにとって桜島は、やはりなくてはならない特別な存在なのだろう。ちょっと手を焼かされる父親にも似て、彼らのアイデンティティに深くかかわるものなのかもしれない。

 朝から湯上り気分で鹿児島中央駅へ。時刻表を調べると、十時三十分発の列車がある。これで終点の川内まで行くことにする。可愛らしい黄色のワンマン列車だ。九州のローカル列車は、車両が新しく、おしゃれで乗り心地のいいものが多い。しかも空いているので、ゆったりと座席を使える。今回のように乗車時間の長い旅では、とてもありがたい。
列車は串木野に近づいている。昨夜行ったお鮨屋さんで出た、鯛のお刺身やアジの一夜干しは、いずれも串木野産ということだった。きっと美味しい魚がたくさんとれるのだろう。九州はどこへ行っても美味しい魚が食べられる。この大切な海の幸が、放射能で汚染されるのは悲しい。日本の原発は、なぜか魚が美味しいところに建っている。まるで魚嫌いの人たちの悪意が集約されているかのようだ。大分の向かいには伊方原発が、串木野のすぐ近くには川内原発が、唐津と平戸のあいだには玄海原発がある。海だけではない。ひとたび事故が起これば、風向きによっては、今回旅してきたところは、すべて被災地になる可能性がある。そんなことを考えながら、川内駅で肥薩おれんじ鉄道に取り換える。
この路線は、いかにも南国っぽい美しい風景がつづく。海もきれいだし、ぜひ一度乗ってみられることをお勧めする。列車はツルの飛来地として有名な出水へ。お昼どきなので、途中下車してみる。九州新幹線の停車駅ということで、駅舎は立派だが、乗り降りする人はほとんどいない。駅内は閑散としている。一軒だけ入っている食堂は、見るからに貧相である。ちょっと嫌な予感がしたけれど、他に選択肢がないので入ってみる。
小平さんは黒豚のカツカレーを、ぼくは赤鶏の南蛮そばを注文した。若い女の子が二人でやっている。注文した料理を受け取るとき、彼女たちが唯一発した言葉は、「食器は所定の場所にお戻しください」だった。不吉である。そんなことを店員が口にするようでは、味は期待できない。予感は的中した。南蛮そば、はっきり言って不味い。小平さんも浮かない顔でカレーを食べている。
セルフ・サービスの店、それはわかっている。でも、客はぼくたちを入れて四人だ。目がまわるほど忙しいわけではない。現に彼女たちは暇を持て余して雑談している。手が空いているなら、食器を下げればいいじゃないか。ついでにお茶を入れて、テーブルくらい拭いてはどうだろう。サービスのことを言っているのではない。そういう姿勢がなければ、美味しいものはつくれないと思うのだ。少しでもいいものを生み出そうとすることに、仕事の喜びはあるはずじゃないか。料理をつくることも、小説を書くことも同じである。それは日銭を稼ぐこととは、また別の問題なのだ。

なんとなく出鼻をくじかれた感じで駅舎を出る。そこでぼくたちは、さらに落ち込むことになる。出水駅をデザインした人に言いたい。なんてセンスの悪い駅なんだ。こんな駅にしてくれと、誰がたのんだ。ただ殺伐とした感じしかしない。この建物が、ここにある必然性は何もない。いったい誰が、なんのためにこんなものをつくったのだろう。トータル・デザインという発想はなかったのだろうか。駅前の整備された公園にも人影はない。わびしい。悲しい。小平カメラマンのシャッターを切る音も、心なしか元気がない。
その小平さんは、よく「カルチャー」という言葉を使う。カルチャーとは、もともと「耕す」という意味だ。人を耕すための装置や環境が、本来の意味でのカルチャーだろう。いま日本中の津々浦々で、伝統的なカルチャーは消滅しかかっている。新幹線の駅のようなハコモノはあっても、地元のカルチャーは壊滅的な状態だ。にもかかわらず、それに代わる新しいカルチャーをつくり出す努力を誰もしていないように見える。行政は形あるものにしかお金を使わない。つまりハコモノである。そんなものにしかお金を使うことができないのは、行政を担当する者たちにカルチャーがないからだろう。彼ら自身が耕されていないからだろう。
駅の食堂で働いていた女の子たちも、やはり耕されていないと感じた。本人たちは自分たちの仕事ぶりに、とくに疑問も感じていない様子だ。こんなものだと思っているのだろう。不幸である。彼女たちを責めるつもりはない。誰かが教えてあげるべきなのだ。でも教えてあげる人がいない。人を育てる装置、すなわちカルチャーが機能していない。これは現在の日本の、あらゆる場所で言えることではないだろうか。ぼくたちが抱えている、いちばん深刻な問題ではないだろうか。

第六話に続く…(6月19日頃更新)

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