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文=片山恭一
写真=小平尚典
アートディレクション=東裕治

裏ななつ星紀行 第四話   二日目(後編)

いきなり団子:熊本駅

熊本駅には午後一時十六分に着く。ホームの立ち喰いうどん、いきなり団子、かしわ飯弁当、どれも美味しそうだ。いきなり団子というのは、輪切りにしたサツマイモに薄く餡をのせ、だんご粉と小麦粉を合わせた生地で包んで蒸したものだ。名前の由来には諸説あるが、「いきなり=簡単」につくれる団子という説が有力だ。シンプルで美味しく、ぼくも好きだけれど、サンドイッチを食べたばかりなので、さすがに入らない。小平カメラマンも唾を呑み込んで写真だけ撮っている。

八代で一両編成のワンマン列車に乗り換える。ここからいよいよ肥薩線に入る。発車までに三十分ほど時間がある。人吉で七十一分、吉松で二十分、隼人で十七分と、とにかく乗り継ぎに時間がかかる。その不便さも含めて、いまどきの普通列車の旅は最高の贅沢である、と強がりのひとつも言っておかなければしょうがないくらいの悠長さである。ようやく出発。ほどなく球磨川が見えはじめる。緑色の水を豊かに湛えた渓流を右に左に従えながら、列車は川に沿った線路を上っていく。このあたりはあまり植林がされておらず、自然に近い美しい山並みを見ることができる。いろいろな種類の木が混じり、紅葉の進み具合や色合いが微妙に異なる。山全体がもこもこして、まるでむく毛の犬みたいだ。思わず撫でてやりたい、抱きしめてやりたい、山の上に寝転びたい気分になる。

人吉は妻の郷里である。ぼくが車の免許をとったのは十年ほど前で、それまでは幼かった子どもたちを連れて、いつも列車で里帰りしていた。二十年以上のあいだ、年に二回ほどは利用していた馴染み深い路線なのだ。途中の駅も懐かしい。球泉洞。ここには大きな鍾乳洞がある。義父の運転する車で、子どもたちと一緒に何度か連れていってもらった。一勝地。縁起のいい名前の切符を求める人も多いと聞く。西人吉。人吉駅の一つ前の小さな駅。妻の実家は、この駅のすぐ近くにある。ぼくたちが滞在を終えて福岡へ帰るとき、義母はいつも子どもたちのために、踏切のところまで出てきて手を振ってくれた。幼い長男と次男も、窓に顔をくっつけるようにして待ち構え、祖母の姿が見えるや懸命に手を振り返す。懐かしいその姿は、一瞬のうちに通り過ぎてしまう。義母が亡くなったのは六年ほど前だ。あとを追うようにして、義父も一年余り後にこの世を去った。

人吉では温泉に入ることにしている。ぼくのお勧めは、人吉城址にある元湯。駅から歩いて二十分ほどだ。行きと帰りで四十分として、三十分の余裕がある。荷物をロッカーに預け、タオル一枚だけを持ってぶらぶら歩いていく。球磨川にかかる橋を渡り、川に沿ってしばらく行くと城址が見えてくる。温泉は城内にある市役所のすぐ近くだ。人吉市内にはあちこちに、源泉かけ流しの温泉がある。総じてぼく好みのやわらかい泉質だ。地元の人が共同管理しているような気の置けない浴場も多く、元湯もその一つである。早朝から夜十時ごろまで開いているが、いつ行って常連らしい人たちが入りにきている。それほど大きくない浴槽に、簡単な洗い場だけのシンプルな浴場だが、地元の人たちに愛されていることがわかる。
すっかり温まり、いい気分で人吉橋を渡る。足下には球磨川の水が流れ、川下の山の端に傾きかけた夕陽が美しい。川面を渡って吹いてくる風はさわやかだ。こうなると湯上りのビールである。ビールはコンビニかどこかで調達するとして、せっかくいい気分で飲むのだから、つまみにもこだわりたい。知らないうちに、足は赤ちょうちんの匂いのする方へ向いている。あるぞ、あるぞ、お肉屋さんで焼き鳥を売っている。これが一串三十五円という安さ! 六本買うと一本おまけしてくれた。
「どこから来たの」
「彼は東京、ぼくは福岡です。家内の実家が市内にあって……」
 うっかり世間話をはじめたところ、おやじさんは関取や芸能人と一緒に店の前で写っている写真を取り出してきた。みんな一串三十五円の焼き鳥を食べたのだろうか。そんなことよりも、発車の時間まですでに十分を切っている。
「おじさん、どうもありがとう!」
 ぼくたちは早足から小走りになっている。駅はまだ見えない。あと五分。普段からジムで鍛えているという小平さんの息は上がっている。ぼくも週に三回も四回も剣道をしているくせに顎が出ている。ようやく駅が見えてきた。発車まで三分。
「片山さん、ロッカーから荷物を出してきて。ぼくはビールを買ってくるから」
 この列車に乗り遅れると、今夜のうちに鹿児島入りすることは難しい。そんなきわどい状況だというのに、ビール! 旅はスリリングである。
「お疲れさま」
「おっと、その前に写真」
 焼き鳥を広げてパチッ。どんな場合も仕事を忘れない小平カメラマンである。温泉で汗をかいて、駆け足でも汗をかいて、最後は冷や汗までかいたあとに飲むビールは美味かった。もちろん多大なリスクを冒して手に入れた焼き鳥も。くう~、たまらん。でも、まだ先は長い。
いきなり団子:熊本駅

 大畑と書いて「おこば」と読む。前にも書いたように、ここは全国でも唯一、ループ線のなかにスイッチバックがあるところだ。SLの時代には有名な撮影スポットだったらしく、小平さんも学生時代に写真を撮りにきたことがあるという。ループ線は急傾斜を登るためにつくられたものだ。そして阿蘇の立野駅と同じように、急傾斜地に駅をつくるためにスイッチバック方式が採用された。技術の発達した現在なら、手っ取り早くトンネルを抜いてしまうのかもしれない。そういえば国道221号線、加久藤峠のループ橋もこの近くだ。昔はさぞや交通の難所だったのだろう。

 いよいよ列車はループ線に入る。大畑駅の標高は二九四・一メートル。いちばん高い矢岳駅は五三六・九メートル。二五〇メートル近い標高差を一気に登っていく。運転士は二人、一人は見習い風の若い運転士さんで、先輩からいろいろ教わっている。例によって、二人は前と後ろを忙しそうに行き来している。ぼくたちが興味津々でメモをとったり写真を撮ったりしていると、年配の運転士さんがパンフレットを持ってきてくれた。ループ線とスイッチバックの路線図が付いている。それを見ながら丁寧に説明してくれる。なんて親切なんだ。おまけに写真を撮るために列車のスピードまで落としてくれる。撮影にはぎりぎりの明るさしか残っていないけれど、なんとか大丈夫だったようだ。

 乗客はぼくたちを入れて五人。その車両を二人の運転士が動かしている。赤字は目に見えている。経営的には大変だろう。「ななつ星」にJR九州は三十億円を投じたそうだ。ケチをつけるつもりはない。それはそれとして、こういう地味な路線こそ、しっかり残してほしい。明日は運休する肥薩線、今日のうちに無理をして乗ってよかった。ループ線とスイッチバックは貴重な体験だった。それにも増して、親切な運転士さんたちの心遣いが印象に残った。
「スイッチバックとループこそ人生だ」
「その心は」
「引き返してもいいじゃないか、まわり道してもいいじゃないか」
「うまい! 大将、お銚子をもう一本」
 鹿児島市内の鮨屋で、ぼくたちは今日一日の旅を振り返り、すっかり盛り上がってしまった。現代の日本人にいちばん欠けているマインドを、夕闇せまる大畑の鉄路に見た気がしたせいかもしれない。グローバルな市場主義の波が押し寄せ、あらゆる局面で合理化と効率が追求されている。誰もがお金の話しかしなくなっている。お金の話しかできなくなっている。そのことに多くの人たちが疲弊している。だからこそ「裏ななつ星」を提唱したい。とりあえず旅に出よう。できれば普通列車でのんびりと。心を解放しよう。余裕を取り戻そう。諸経費は一日一万円。お金をかけるかわりに時間をかける。時間こそ最高の贅沢だ。そこからもう一度、人生の設計図を引き直そう。

第五話に続く…(6月11日頃更新)

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